国宝のレビュー・感想・評価
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濁流に飲まれたかのような気持ちで映画館を後にした。
歌舞伎に疎い私でも、別の仕事と並行して、1年半でここまで歌舞伎役者を見事に演じ切った喜久雄演じる吉沢亮と、俊介演じる横浜流星の努力が凄すぎることはわかる。
型は違えど、きっとこの2人も演じることに取り憑かれた人たちなんだろう。彼ら2人がいたから、この作品はここまでの完成度と説得力がついたことは間違いない。
そして彼らの幼少期を演じたのが、新人アカデミー賞を受賞した『怪物』の黒川想也くんと、『ぼくのお日さま』の越山敬達くんという、これまた胸熱な2人なもんだから、誇張無しに喜久雄と俊介の幼少期からずーーーっと隙がなく素晴らしい。
黒川くんの女型なんて、あの歳でなんであの色気を出せるのか、昔話で人間を化かす妖怪ってこんな感じなんだろうなとさえ思えた。
なのに練習シーンで見せた、上半身のあの筋肉質で引き締まった男らしい身体に驚く。彼の日本アカデミー賞でのスピーチでも感動したけど、今後がとても楽しみな役者さんだ。
さらには田中泯さん演じる万菊。滲み出る『人間国宝』の凄みと気品で、田中泯さん自身は歌舞伎役者では無いのに、もう何十年も歌舞伎の世界に身を投じていた人物にしか見えなかった。招く手の所作まで、細部に至る全てが美しかった。
そう、この作品は3時間ずっと美しいのだ。
それは李監督がいつも作品で見せてくれる、人間の美しさなんだろう。もちろん吉沢亮と横浜流星という外見の美しさもあるけれど、単純に外見の美しさというわけではなく、醜く足掻く姿も美しく、汗と涙でぐちゃぐちゃな姿も美しく、そういう壮絶な人生が放つ、常人では放てない美しさが始終作品から放たれていた。
喜久雄の人生を3時間で描くため、若干物足りないところもあったし、あのキャラはその後どうなったの?とか、ここはもう少し丁寧に見せて欲しかったなーという箇所も無かったわけではないけれどけれど、これでもだいぶカットしたんだと思う。
演目で彼らの心情や想いを語らせる、生き方をダブらせるという手法は、歌舞伎の演目を知っていないと少し難しい。
私は『曽根崎心中』しかわからなかったので、鑑賞後『鷺娘』を調べたら、思わず「そういうことかー」と声が出た。これを知った上でもう一度あのシーンを見たい。
極道一家の息子に生まれ、歌舞伎の世界に入る喜久雄と、歌舞伎一家のサラブレッドの俊介。
芸をいくら磨いても、血縁という強固な絆とお守りには勝てないと思う喜久雄と、その血によって苦しむ俊介。2人の立場の違う無いものねだりの若者が、芸を極めるために、もがき苦しみ、執着し、追い求める様の熱は凄まじかった。
私には到底いけない世界だ。
実際歌舞伎の世界で生きている人たちから見たら、この作品はどう映るんだろう。実際の人間国宝の方々からの感想を聞きたくなった。
俳優・吉沢亮の代表作、ここに誕生。魂が震える、芸の一代記!
映画『国宝』を観てきました。
言葉を失うほどの余韻に包まれ、今もまだ心が震えています。
これはもう、今年度のアカデミー賞を総なめにしてもおかしくない、圧巻の一本でした👏
『悪人』『怒り』などで知られる李相日監督が、再び吉田修一の小説を映画化。
任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げた男の激動の一代記を描いた人間ドラマです。
まず何より、吉沢亮さんの“女方”役が凄まじい。
演じているというより、「役が宿っている」と表現したほうがしっくりきます。
国宝級イケメンの彼が、顔を白く塗り、己の芸一本で勝負する姿はまさに圧巻。
「歌舞伎」という日本の伝統芸能の世界は、一筋縄ではいかない道のりだったはず。
李監督が、なぜ歌舞伎役者ではなく吉沢亮を主演に選んだのか──
その理由を語るインタビューを読み、「なるほど」と納得しました。
その熱烈なオファーに応えようと、苦しみながらも挑み続けた日々さえも、
“芸の肥やし”となり、この作品を輝かせています。
“国宝”というタイトルにふさわしい生き様と芸が、吉沢さん自身の演技によって命を持ち、
観る者の魂に深く突き刺さる。
まだ上半期ですが、日本アカデミー賞主演男優賞の最有力候補といっても過言ではありません。
そして、昨年『正体』で同賞を受賞した横浜流星さんの存在感も素晴らしかった。
まさに作中のストーリーそのもの──
若手実力派俳優同士の“芸道対決”が、本作の見どころでもあります。
横浜流星から吉沢亮へ──
イケメン俳優から“国宝級”イケメン俳優への夢のバトンタッチは、美しく誠実な“アシスト”。
師匠役の渡辺謙さん、その妻役で歌舞伎をよく知る寺島しのぶさん、重要なヒロインを演じた高畑充希さんなど、脇を固める俳優陣も豪華!
芝居の間合いや声の温度感すべてが、舞台のような緊張感と深みを生み出していました。
さらに、音楽と“無音”の演出がとても効果的。
歌詞のない打楽器の重低音が、歌舞伎という芸に込められた品格と魂を引き立て、
本物の舞台を観ているかのような臨場感を味わえました。
King Gnuの井口理さんによるラストの歌声も、まるで楽器のように物語に溶け込み、
観終わったあとまで美しい余韻を残してくれます。
ふだんなら高額なチケットを払わないと観られないような上質な歌舞伎の演目を、
映画という形で丸ごと堪能させてもらったような贅沢な体験。
じっくりと味わう映画がお好みの方には、特におすすめ🧐“観ておいて損はない”名作です。
映画ファンはもちろん、日本の伝統芸能に関心がある方にもお勧めしたい映画です♪
吉沢亮と横浜流星の贅沢なアンサンブルで魅せる、血筋と才能の残酷な相剋
吉田修一の原作は文庫本で上下巻、都合800ページほどで主人公立花喜久雄の15歳から還暦過ぎまでを描いている。時代背景も絡めつつ綴られた浮沈の激しい歌舞伎役者の一生を1本の映画に収めるのだから、細部の省略は当然ある。
それでも物語の本質的な魅力は全く損なわれていなかったように思う。それどころか、原作を読んだ当時歌舞伎の演目に関する知識があまりなかった私は、ああ視覚的にはこういう世界だったのだと、そこにかかっていた靄に気付かされたような、そしてその靄が晴れ澄んだ景色が見渡せたような気持ちになった。
吉沢亮と横浜流星は、個人的には世代でトップクラスの演技巧者だと思っている。どちらかひとりが出ている作品というだけでも食指が動くのに、二枚看板となればもう贅沢なものをありがとうございますとひれ伏すばかりだ。
実際、吉沢亮の喜久雄は圧倒的だった。半二郎から「曽根崎心中」の演技指導で厳しい駄目出しを受ける最中自らの頬をひとつ打ち、一瞬で一皮剥けたお初になる場面には息をのんだ。
行方不明だった俊介が帰って来てあっという間に晴れ舞台に戻る一方、「血」がないがためにドサ周りに落ちぶれた喜久雄が、汗と涙で化粧が流れた顔のまま悲痛な声をあげる姿に胸が締め付けられた。
そして、何と言っても舞台での華やかさ。どこか中性的な滑らかな輪郭の吉沢亮の面立ちに、女形の化粧が映えて眩しかった。
私には歌舞伎の舞台を観る嗜みがないのであの演技がどこまで本物の歌舞伎役者に迫ったものか、厳密に見極めることは出来ない。だが、彼がやろうとしていることは単純な舞台の再現ではなく、人間国宝になる役者の人生を映画で表現することなので、舞台場面のみを本物と比較して粗探しすることにはあまり意味がない気がする。
中村鴈治郎が歌舞伎指導を担当しているので、基本的なクオリティは担保されている。また、李監督は吉沢亮に、綺麗に踊るのではなく喜久雄としての感情を乗せて踊るよう指導したそうだ。歌舞伎をよく知らなくても難しく考えず、映画の観客として舞台場面ではただ東一郎と半弥、衣装や舞台芸術の美しさに酔い、二人の心情に思いを馳せればそれでいいのではないだろうか。
横浜流星も吉沢亮に負けない存在感を放っていた。助演とはいえ、W主演に近い演技力とエネルギーが求められる俊介という役を、吉沢に押し負けることなく、かといって主役の吉沢を食ってしまうこともなく、絶妙なバランスで演じていたと思う。このバランスが崩れると、喜久雄と俊介の関係性の表現は台無しになっていたはずだ。
血筋を持つのに父の半二郎に喜久雄の才能の方を選ばれ、喜久雄の舞台を見て実力の差を実感し家を出てゆくくだりでは、絶望に傾いてゆく俊介の心情が表情の変化から伝わってきた。
吉沢亮は稽古の段階で横浜流星の吸収の早さと役への気迫を感じ、彼に負けないことをモチベーションにして頑張ったとインタビューで述べている。一方横浜流星は、吉沢演じる喜久雄の踊りを見て俊介の踊りの個性をイメージしたとのこと。「仮面ライダーフォーゼ」で親友役だった二人のこういった関係も、どこか役柄の血肉になっている気がして面白い。
メインの二人以外で印象的だったのは、まずは寺島しのぶだ。演技は当然素晴らしいのだが、現実の彼女の境遇が、血筋と才能をめぐる物語に説得力を与えていた。彼女の場合は「血」はあったが、女であるがために弟の歌舞伎デビューをただ見ていることしか出来なかった。血筋を持つ俊介を守ろうとする幸子の姿には、寺島しのぶの母としての経験の他に、彼女が梨園の内側で見てきたものが反映されているように思えて仕方なかった。
田中泯にも驚いた。最初に白塗りの姿を見た時はその圧倒的な存在感に、一瞬本職の歌舞伎役者かと思ったほどだ。女形のしなやかさと威厳が同居する表情、そして洗練された手の動きはさすが舞踊家。
黒川想矢もよかった。喜久雄として最初に登場し半二郎を惹きつけるという、なかなか重要な役どころ。彼の墨染はとても可憐だった。
喜久雄と出会った頃は歌舞伎という業界を斜に構えて見ていた竹野が、最終的に喜久雄を救う立場になってゆく展開も描写はさりげないがなかなかアツい。
本作で全体的に女性キャラの扱いが小さく表層的なのは時代背景と業界の傾向に加え、原作での女性周りの描写が映画では削られているので(特に春江の心情描写はこれで大丈夫なのかというくらい端折ってあった)まあこんなものだと思っている。それでもちょっと残念だったのは、喜久雄の娘綾乃の扱いだ。
取材で喜久雄と再会した綾乃は娘であることを明かして彼に恨み節を言うが、最後に「舞台を見ているとお正月のような気持ちになる」等述べて舞台人としての彼を面と向かって肯定した。
これは、うーん……どうなんだろう。個人的には、ぽっと出のキャラが(子役としての綾乃は出てたけど)無難に綺麗事でまとめたように見えてしまった。肯定させる必要あったかな?
綾乃の使い方によっては、晩年の万菊に近いレベルで、喜久雄の美を背負う業のようなものが表現出来たのではないかと思えてしまう。偉そうにすみません。
才能で血筋を越えながらも血筋を持たない故に転落し、それでも才能で再び引き上げられた喜久雄。血筋を持ちながらも一度は才能で負けて家から逃げ、しかし血筋によって戻る場所を得られた俊介。入れ違いに過酷な運命に翻弄されながらも、最後まで穢れない彼らの友情もまた舞台に負けず美しい。
原作はちょっと長いがとても読みやすいのでおすすめ。鑑賞後に読めば映画で知ったビジュアルで想像を補いつつ物語のさらなる豊かな広がりに魅了され、美に魂を捧げた喜久雄の最後の姿に心を奪われるはずだ。
得体の知れない何かを求める人生の至福と過酷さ
当代の人気役者、吉沢亮と横浜流星が歌舞伎の世界で出会うライバル同士を懸命の演技でなぞっていく。任侠の世界から生来の才能を見込まれて歌舞伎の世界に飛び込んだ喜久雄(吉沢)と、名門の跡取りである俊介(横浜)を通して、才能か?血縁か?という命題に取り組んだ物語は、そんな比較論に収まらず、各々が命懸けで挑む美の探究の果てに、何が見えるかを垣間見せて緞帳を下ろす。出自に関係なく、芸を鍛錬する者だけが目撃する神々しい光の正体は何なのかは、正直よくはわからない。でも、得体の知れない到達点をただただ追い求める人生の至福と過酷さだけは、しっかりと伝わるのだ。
『国宝』は歌舞伎という日本古来のエンタメと、今を生きる若手俳優のトップ2人の献身が結びついて誕生した本当の意味での娯楽映画。読み始めたら止まらない吉田修一の長編小説を3時間弱の映画にまとめ上げた脚本は秀逸で、上映中時計を見ることはない(はずだ)。所作を含めた演技が美しい吉沢と、口跡と見た目で対抗する横浜(白塗りにすると中村七之助そっくり)を囲む脇役の中では、喜久雄の才能を会った瞬間に見抜く伝説の女形、万菊を演じる田中泯の妖艶さに痺れまくった。配役、美術、音楽も含めて、これほど贅沢な時間は年間を通してあまりない気がする。
歌舞伎への深い愛を感じる力作。一方で描くべき内容が多すぎるのか予備知識が少ないと感情移入しにくい面が課題か。
本作は歌舞伎の演技シーンを中心に強いこだわりを持って描かれている力作なのは間違いないでしょう。
役者たちの演技も文句なしに素晴らしく、その熱演は見る者を惹きつけます。
ただ、歌舞伎や原作小説の予備知識があるかないかにより、かなり見え方が変わるでしょう。
歌舞伎の知識が乏しかったり、原作未読の状態で見ると、「時」の経過に伴う場面などが断片的に見えてしまったり、状況をつかみきれず感情移入しにくい面があるのです。
結果的に175分を使いながらも、一見さんかそうでないかによって印象に差が出やすい構造になっていて、前者の視点からは課題を感じる作品でした。
魂感じた映画です。
日本の伝統文化として、一度は見ておきたいと思っていた歌舞伎の世界を扱った映画 「国宝」
吉沢亮さん、横浜流星さん、田中泯さんの演技が特に素晴らしく眼を奪われました。
”役作り“という概念を越えていたのではないかなと…国際映画祭でスタンディングオベーションが起きるというのが納得出来た作品でした。
魂の演技というのでしょうか?ものすごく怖いほどでした。
2人のいろんな感情が見え隠れして、美しさと切なさ、それぞれが思い悩む心情も丁寧に描かれていて歌舞伎という未知の世界にも感銘を受けました。
吉沢亮さんは間違いなく、ありとあらゆる映画賞で主演男優賞を受賞されることでしょうね。
とても美しい映画、この美しさのためにどれだけの時間が費やされたのか、それを考えるだけでも尊いです。演目中の涙さえも尊い。
アクション映画ではないですがドキドキハラハラしました。映画館をお勧めします。観終わった後の脱力感、高揚感、放心状態でした。
あっという間の3時間
正直、公開されるまで興味がなかったです。吉沢亮さん、横浜流星さん、若い方に人気のある俳優さんという認識。おまけに3時間という。友人に誘われ映画館へ。もう鳥肌でしたね。歌舞伎も演目は知っていましたが、娘道成寺、鷺娘、曽根崎心中、初めて見ました。自然と涙が溢れてきました。キャストの全てに感情移入しすぎました。次回のアカデミー賞主演男優賞、助演男優賞決まりだなと思いました。あっという間の3時間でした。
大絶賛の本作。公開前からインスタの映画垢で仲良しのフォロワーさんた...
大絶賛の本作。公開前からインスタの映画垢で仲良しのフォロワーさんたちが気になってる作品と教えてくれて興味を持っていた作品。少し遅れながらも観に行ってきた。
いい時間帯で上映しているのが普通のしかなくてとりあえず普通のもので鑑賞した。
音響…素晴らしすぎない?というかこれIMAXでやってもいいんじゃない?って思うぐらい精密な音響に鳥肌が立った。
あとは美しくて儚い舞台がとても印象的だがこちらも高画質で観るのもアリなんじゃないかと思った。
雑なカットシーンが多々あったものの、カメラワークが心情を表しているかのようで私は好みだった。
歌舞伎を詳しく知らない私やその他の人にとって理解しやすいものではあった。
ストーリーはよくあるストーリーで先読めまくりではあったが、そこに私にとっての新ジャンルの歌舞伎を入れ込み、“芸”とは“役者”とは何かを問わされているかのような感覚だった。
パンフレットを買うまでも至らずだったので詳しいことは分からないが、Wikipediaで調べたところ役者たちは1年半かけて歌舞伎を学んだそう。
確かに普段演じるものとは全くの別ジャンルで歌、所作、表情、言葉遣いなど沢山努力されていたのだろうなと思った。
特に幼少期の喜久雄を演じた #黒川想矢 くんの演技は本当に美しくしなやかな女型を演じていて驚いたし、歌舞伎じゃない時の表情や声のトーンは心情を表しつつ、巷で見かける男子中学生そのもので、とても感情移入しやすかった。
W主演の吉沢亮と横浜流星も所作が本当に美しく歌舞伎を演じている時は圧巻だった。歌舞伎に対しての努力を感じたし、カメラもその所作をよく抜いていた。
白塗りになると分かりづらくはなるが、個人的に吉沢亮は目に目がいき綺麗な女型、横浜流星は口元に目が行き可愛い女型という印象を受けた。
ただ白塗りを降りてしまうとテレビで見たことある吉沢亮そのものすぎて家電紹介しそうだなって何度か思った。
私が好きだなと思ったのは万菊( #田中泯 )が演じた鷲娘という演技を見た時の彼らのセリフ。それがストーリーが進むにつれ、ずっとしがみついており、今回の真のテーマだったのでは思う。自分が見た物に対して感じた時の感情が自分に降りかかってくる時、それは夢ではなく実現したのではと私は思う。
伝統芸能には必ずしも家系、血筋が付いてくる。そんな中でのプレッシャーを抱えている人や、何かにしがみつかなきゃいけない人といる中で、名を持ち表に出られるのは限られた人だからこそ、厳しいけどこの日本の美しき伝統が続くのではと思った。
だからこそ伝統芸能を行う彼らにとってのプレッシャーと戦うシーンは涙が止まらなかった。
ライバルだけどスタートが違う彼らの歌舞伎に対しする歌舞伎に対する行動が徐々に変わっていくのも面白かった。
一部のキャラが最終的に美談に持っていかれたのが腑に落ちなさすぎたが、全体的に起承転結がしっかりしてて良かった。
鳥肌が立った。
やはり脚本有りき。これ以上削れば、ぶつ切り感が顔を出し、これ以上足せば、重く飽きてくる。血と才能、生と死、信頼と裏切り。凄く良かったです。与えられた物は全て受け入れる喜久雄、そしてその代償。現実を突きつけられ、奪おう(壊そう)とした女性に逆に救われ、文字通り足掻き続ける俊介。「順風満帆」な人生など何処にあると言うのだろう。此れではない、此処ではない、と思う事は誰でも一度はあるだろう。心の内は誰にも分からない。一皮剥いたら何が出てくるかは、本人でさえも分からないのでは無いだろうか。(一時脱線)
カメラワーク、カット割りが凄い。一体どれほどの手間と時間を掛けたのだろう。そしてラストシーン。是非、映画館で観てほしい。出来れば前の方の席で、スクリーン一杯に広がる映像の美しさに鳥肌が立ちました。
日本映画の真骨頂
歌舞伎という特殊な、日本独特の世界を通して、芸に生きる事に取り憑かれた人達を描いた作品。実はちょっと前の香港映画、「さらば、わが愛 覇王別姫」をちょっと思い出した。
上方歌舞伎の世界に生きる血筋と才能の対比、美しくも特殊で過酷な世界、だからこそ人々が魅せられる舞台を光りと影で色濃く映している。まさに役を生きている吉沢亮と横浜流星は、歌舞伎舞台上でも演出とは言えその対比が素晴らしい。吉沢亮は不思議な俳優だ。過酷の作品でも、気負いや凝った役作りは感じられないが、自然と役を生きているように見える。今回の舞いは本当に素晴らしかった。
田中泯さすがです。迫力と怪しさがその佇まいと目線で、そしてその語りで本物の国宝級歌舞伎役者のようでした。作品通しての空気感に圧倒されて褒めちぎる言葉しか思い浮かばないのだが、一点だけ…どうしても渡辺謙の女形は想像がつかない。歌舞伎役者特有のしなやかさみたいなものだけ、感じられなくて。そのシーンは無かったので良かったと思った。
もう一度見たい、と思わせる作品。
カメラワークが····
日比谷のTOHOシネマズで鑑賞。予約の時点で驚いたのが、オペラのように高い席から埋まっていくということ。年齢層も幅広く、本作品の注目度の高さが伺えた。
当代きっての2大イケメンのお二人が、1年半のお稽古でよくぞここまで仕上げたと感動しました。
吉沢亮さん、素晴らしい俳優さんですね。
きっと、悪魔と取引されたのでしょうね。
完全に、横浜流星さんを食っていらっしゃった。
残念なのは、舞のシーンのカットがNetflix並みにせわしなかったこと。
175分という上映時間や、歌舞伎初心者の観客に配慮した結果かもしれませんが、ロングでまわしていただきたかった。
良かった。
主演2人が何となく好きではないので良かったのが悔しいくらい。大河の主役は伊達じゃないんだなぁ、見終わったらそんな事はどうでも良いくらい緊張感と存在感が迫る舞台だった。映画っていうより舞台って言った方が今の気分にハマる。
歌舞伎界の人達じゃないのにあんなに歌舞伎に足を運びたくさせるなんて…なんかもう頭が下がります。
序盤の永瀬正敏のカッコ良さから学生時代の2人を演じた子達の演技にも引き込まれて見てよかった。
2度目の演技とか同じ日になんか出来ないだろとかおもっちゃうんだけど、セットとか2回組んだのかな。他にも色々とどうやって撮ったんだろう。気になる。
パンフのテキスト量が多そうだったので読みたいなー
映画でしか見れないカメラワークも素晴らしくて舞台から見た景色や均衡というか近さみたいなものがこんなに感じられるもんなんだなぁと圧巻でした。
2025年度暫定ベスト!
圧倒的なシネマティックな映像、カメラワーク、編集に引き込まれる。李監督の確かな演出力を感じられたのは「フラガール」以来か。
長い年月の物語にもかかわらず、中だるみも感じられない。歌舞伎の舞台が多いにもかかわらず、飽きることが全くない。これはきちんとキャラクターの心情を画面から伝えるという演出が効いているからだ。歌舞伎の演目の中でさえ、キャラクターのその場の心情を的確に伝えてくる。李監督ブラボー!
吉沢亮よかった!横浜流星よかった!田中泯さん素晴らしかった!(アカデミー賞助演男優賞確定!)音楽よかった!
大好きな作家吉田修一の原作作品の中でもダントツで1番。
今年後半にこの作品を超えられるものが出てくるか??
とんでもない
とんでもないものを観たというのか直後の感想
少しの時間席を立てませんでした
劇場の真ん中の席で見たのですが、舞台を観ている観客のように、歌舞伎のシーンが見れたのは嬉しかった。真ん中側の席おすすめです!
あと3時間長いと思って、食べ物、飲み物たくさん買うのは、おすすめできません。余ります
歌舞伎の舞台シーン等、実話のような感じがする映画ですが、再現ドラマではないので、あそこが実際の歌舞伎と違う!ここが原作と違う!等と観るのは、勿体ないです
評判は高いし、素晴らしい映画と私は思いますが、みんなが良いと言ってるからと言う視点で観るのも、みんな良いと言ってるけど、足りない所がある、描ききれてない部分があると言う視点で観るのも、この映画の魅力を狭めてしまうかも。
良い意味で先入観をいかに無くして観ることが出来るか?がポイントの作品です
映像美は圧巻。プロットはやや雑
映像がとにかく繊細で素晴らしい。
撮影がアデルブルーは熱い色のソフィアン・エル・ファニというのを見て納得。
歌舞伎という扱い辛い伝統芸能を題材によくぞここまでの映画を作り上げたなと感心した。
問題のプロットだが、話の焦点が芸事への執念なのか、キクオとシュンスケとの因縁や友情の物語なのかがやや散漫になった印象。
少し欲張り過ぎて色々な要素を詰め込み過ぎた印象はある。
シュンスケの足の件や師匠半次郎の死もやけにアッサリと消化してしまったなと感じた。
また、キクオとシュンスケが過去の軋轢を超えて、再び舞台で共演するに至るまでの流れがバッサリカットされているので、1番見たかった美味しいシーンが見れなかった印象。
あとは主人公キクオの何を犠牲にしても芸事にかける執念のような部分もあまり強くは描かれておらず、娘を蔑ろにするシーンもパレードのシーンだけなので、最後の娘の言葉もあまり効いてない感がある。
もう少し色んな要素を交通整理してまとめてシナリオを練り直したら更に良くなったと思う。
「国宝」というタイトルも話の真芯に合っているかと言われたら合っていない気もする。最後に人間国宝になりましたという展開があるだけで、あくまでも記号。キーワードとして出てくるだけなので、
「国宝」という題にするならば、国宝というものが何なのか、映画としてもう一段深く掘り下げて見せて欲しかった。
それこそ歌舞伎なだけに話の筋にビシッと一本筋を通して欲しかった。
2人に拍手喝采
凄いものを観てしまった
これは「ファンタジー」です?
背中に入れ墨のある「元ヤクザ」が歌舞伎役者になれるか?否。
ファンタジーとはいえ、リアリティの無い設定は、作品への没入感を減退させる。
一度『世界』に入り損なうと、粗探ししか出来なくなる。
「本業の歌舞伎役者さんじゃないから、仕方ないよね」
何で、観る側が俳優に配慮して観なければならないねん。
連獅子も二人道成寺も、カメラワークとズーム、カット割りで誤魔化されてる。
元ヤクザの人間が、歌舞伎役者に魅入られて歌舞伎の世界に入り、大役を貰う?
地道に下から稽古し続けている門下生達のやっかみとか絶対にあるハズと思うんだよね。
【中村仲蔵】の話みたいに。
そこらへん、全スルーだもんね。
映画を観た歌舞伎役者さんが言っていたが、「化粧が☓。あれは、メイクさんにやってもらったメイクだから、皆同じ顔になってる。本来メイクは、役者自身がやるもの」「メイクしたまま寝ない」「衣装の扱い方がゾンザイ」らしい。
まるで人間国宝になる事がゴールの様になっているけど、人間国宝の役目って「後継者の育成」じゃないの?
この映画の【歌舞伎】は、『リアル』な歌舞伎ではなく、『ファンタジー』の歌舞伎です。
ただ、この映画を観て、歌舞伎に興味が出たなら「シネマ歌舞伎」からでも観てほしいね。
実際の歌舞伎役者が演じたものは、もっとすごいんだよ。
男の世界。ウ〜ン、マンダム。
5〜6月は、別の趣味でカメラを持って出かけているので映画館へ行くのが少ないのだが、今月はやっと劇場鑑賞2本目。
カミさんが珍しくこの映画観たいと言うので一緒に「国宝」をTOHOシネマズ上野で。原作未読。
6月17日(火)
平日昼間でもキャパ392の劇場が七分以上の入りで年齢層高め。横並びの列に年配の夫婦が予告が終わる開映ギリで係員に案内されて来た。映画館慣れ?していないのか、しばらくおしゃべりがうるさい。映画館に普段来ない客層が足を運んでくれるのは嬉しいがこういうのはちょっと困る。
齢70を過ぎたが、恥ずかしながら歌舞伎座には行った事がない。3階席でも良いから一度行った方が良いと昔言われた事があったのだが。そういう点では、ある意味歌舞伎の世界は新鮮であった。
上方歌舞伎役者の花井半二郎(渡辺謙)は、招かれた長崎・立花組組長立花権五郎(永瀬正敏)正月の宴の余興で「関の扉」を舞う権五郎の息子喜久雄を観る。その才能に眼を見張るが、二人の眼の前で殴り込んで来た他の組の者に権五郎は射殺されてしまう。
喜久雄を引き取った半二郎は、喜久雄を同い年の自分の息子俊介と一緒に芸を磨かせ、歌舞伎役者の女形として仕込んで行く。
半二郎と俊介(越山敬達)が舞う「連獅子」を舞台袖から観る喜久雄(黒川想矢)。
二人が成人した後、交通事故で舞台に立てなくなった半二郎は、自分の代役を息子の俊介(横浜流星)ではなく喜久雄(吉沢亮)を指名する。緊張で震えが止まらず化粧が出来ない喜久雄に化粧を施す俊介。
父の代役で「曽根崎心中」の舞台を見事に務め上げる喜久雄の才能にショックを受けた俊介は姿を消す。それに気づき俊介と行動を共にする春江(高畑充希)。
「曽根崎心中」のお初徳兵衛の道行きとリンクして描かれる春江と俊介。
とうとう喜久雄は半二郎を襲名する事になるが、襲名披露の舞台で先代半二郎は糖尿病のために倒れ亡くなってしまう。
いくら才能があっても血筋がない喜久雄は大旦那が亡くなれば歌舞伎の世界ではセリフもないような役しか貰えない。
そこへ俊介が花井半弥として歌舞伎界に戻って来るが、喜久雄は背中の刺青や隠し子
のスキャンダルで奈落に落ちるように姿を消すのだが…。
「関の扉」「二人道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」といった演目が複数回演じられる。演者を替え、或いは替えずに。(親子で舞う「連獅子」は一度のみ)
この構成は良かったと思う。吉沢亮は「曽根崎心中」でお初も徳兵衛も演じる。
「鷺娘」では田中泯と吉沢亮の比較もある。ソフイア・エル・ファニのカメラも素晴らしかった。
「ぼくのお日さま」のタクヤ越山敬達が、若き日の俊介を、「怪物」の黒川想矢が若き日の喜久雄を演じている。彼らも吉沢亮みたいにどんどん吸収して育って行くのだろうな。
結局、歌舞伎界と言うのは男の血筋の世界と言う事か。吉沢亮、横浜流星、田中泯、渡辺謙の演技が素晴らしいのは言うまでもない。女優陣の演技も素晴らしいのだが、女性の側の描き方が足りない。
母(宮澤エマ)のその後は。見上愛はどうなったのか。何故、春江は喜久雄と一緒に刺青を入れたのか(若き日の高畑充希(春江)役の娘も良かった)、恋人喜久雄を捨て俊介を選んだのか。彰子(森七菜)はあの後どうなったのか。唯一、その後が描かれたのはカメラマンとして登場した瀧内公美くらいだ。(これがまた良いのだな)
男性側も充分ではない部分もある。人間国宝の万菊は何故あんな安宿に住んでいるのか。それでいて喜久雄の事を何で知ったのか。俊介が亡くなった後、喜久雄はどうして人間国宝になるまでになったのか。
人間国宝となる男の50年以上の人生を描くのには2時間55分でも短かったのかも知れないが、もう少し編集に加減と工夫があっても良かったのではないか。
映画は、省略の芸術でもあるのだ。
全703件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
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